【Maison KasuYa・久川奈月/漆嶋将太】国家戦略特区養父市で学生達が起業を決断!
アドリブワークスが行う養父市との共同実証プロジェクトでは、国家戦略特区である養父市の強みを活かし「地域住民や企業」と「ワーケーション参加者」が、共に地域課題の解決に取り組んできました。今回は、養父市で今まさに起業準備中のプロジェクト、「Maison KasuYa」のお2人にインタビューをしました。(インタビュアー:trivenコミュニティマネージャー岩田かなみ)
プロフィール
久川奈月
Maison KasuYa CEO 桃山学院大学 ビジネスデザイン学部 4年生。幼い頃から都会と田舎を行き来して育ち、その中で食品ロスの考え方に生産者から消費者まで渡る過程の中で大きなギャップが生じているように感じる。このギャップを少しでも本来あるべき形へと戻したいという思いでMaison KasuYa設立を志す。
プロフィール
漆嶋将太
Maison KasuYa COO 高校卒業後、カンボジアに渡航。まだ成熟しきっていない国の姿を目の当たりにし、既存の成熟したシステム・ビジネスの中から、世の中を変えることは難しいが「未成熟」なシステム・ビジネスなら世の中を変えられると確信、同級生の久川さんとともにMaison KasuYa設立を志す。
▶︎コーポレートサイト:Maison KasuYa
国家戦略特区養父市で「かす」への想いをカタチに
岩田:
このプロジェクトの始まりは兵庫県の養父市にある大徳醬油さんの「醤油カス」を活用した商品づくりでしたね。「かす」をテーマにしたプロジェクトをどのように自分ゴトにされましたか?
久川さん:
私の両親の実家は、のどかなところにぽつんとある一軒家で、幼い頃から都会と田舎を行き来して育ちました。都会だと要らなくなったものはすぐ捨てて新しいものを買いますが、田舎だと生産者さんはそんなに簡単にものを捨てない。
”もったいないから”といろんなものを上手に使いまわす文化が当たり前のように回っています。そのギャップに違和感を持つようになって、このプロジェクトに関わることになりました。
岩田:
なるほど…!漆嶋さんはいかがでしょうか?
漆嶋さん:
僕は大阪の羽曳野市出身ですが、実は古くから食肉加工の技術が高くて、ホルモンが有名です。かすうどんの発祥の地なんですよね。だから僕にとって「かす」ってめっちゃ美味しいものなんです。そのイメージを羽曳野だけじゃなく日本全国に広げていきたいというのが今の想いです。
岩田:
私も大阪出身でかすうどんはソウルフードです。確かにかすうどんの”かす”って大阪以外には知られてない!
それぞれが育ったところからかすとの接点を見出されたことが伝わってきました。養父市での活動はいかがでしたか?
久川さん:
初めて養父市にいったのはタニガキフェスというイベントでした。全国から集まった食品や雑貨、おしゃれな洋服が並び、若者が集まってきました。スタートアップとして新しいことを始めたい若者が集まる理由が養父市にはあります。役所のみなさんも企業の社長さんもみんな頭が柔らかい。実際に市長さんともお話しする機会をいただきましたが、誰よりも私たち若者や子どもたちの未来のことを考えてくれていることが伝わりました。
岩田:
養父市は国家戦略特区としてトップの熱量から違うんですね。
久川さん:
国家戦略特区として国の法律に疑問を見つけて改正して、試験運用をするという役割に責任を持ってらっしゃるので、私たちの意見を聞いてくださいます。
漆嶋さん:
歴史のある会社もありますが、変なプライドみたいなものは感じず、柔軟に受け入れてくれます。企業のみなさんも僕らが扱っているのがかすということもあり「元々捨ててしまうものなので、ぜひ使ってください」と話してくれます。
良いものをブランドをつくって届けていく
岩田:
養父市は若者が挑戦できる街なんですね。養父市のプロジェクトを経てこれからMaison KasuYaとして起業をされていくということですが、久川さんは社長になられてどんな気持ちでしょうか?
久川さん:
社長にはなりましたが、4月からは就職が決まっているので社会人としてもキャリアが始まります。プロジェクトを動かすというより、こうして広報や会社の顏としての活動を続けていくという感じです。
岩田:
新卒で社会人+社長が始まるなんて…!
久川さん:元々部活の部長やリーダー的なポジションに立つことが多かったので、自然な流れでした。また、父が厳しくて、アクションを起こしてもらうためにプレゼンをするということは鍛えられていたので。
岩田:
だからこの事業を自分ゴト化してご自身の想いでお話しする力があるんですね。
久川さん:それに私は楽観的で「何が起きても大丈夫」と感じるタイプです。漆嶋は細かいことに気が付いて色々考えて動いてくれるので、この2人のバランスがいいのかもしれません。
岩田:
ということですが、漆嶋さん、いかがでしょうか?
漆嶋さん:
Maison KasuYaの手と足になるのは僕だと考えています。今は毎日あちこちにかすを探し回っています。
最初は若者としてこのプロジェクトに関わるアドバイザーとして入ったのですが、だんだんと任せてもらうことが増えて、Maison KasuYaへの想いが強くなってきました。責任やできることが増えて今は楽しく活動をしています。
岩田:
活動の中で印象に残っていることはありますか?
漆嶋さん:
先日農林水産省が主催するNIPPON FOOD SHIFT FES.兵庫で出展して、初めてチョコレートを販売したことです。「美味しい」という反応を直接いただくことで、良いものをきちんと広めていかないといけないということを感じました。決して安い価格ではないのですが、きちんとブランドを作って、価値を付けていきたいと思います。
また、会場が神戸だったこともあり、大徳醬油やUshio chocolatlのことを使っているお客さんも多く、この2社のコラボに注目が集まっていることや、改めてプロジェクトの大きさを感じました。
同級生から起業家へ。「やる意味」を見つけてもらえないとWin-Winじゃない
岩田:
直接お客さんに届けられたことでさらにMaison KasuYaのミッションに触れられたんですね。久川さんはターニングポイントはありましたか?
久川さん:
漆嶋がチームに入ってくれたことです。漆嶋がきてプロジェクトを前に進めてくれるし、かき回してくれるんです。展示会でお会いした方にご挨拶に行ったり、工業見学に行ってみようと、すぐにアクションに落とし込んでくれます。彼がアプローチをかけて、そこから2人で考えるという感じで進めています。
岩田:
まさに漆嶋さんがCOOの役割を果たしてくれているんですね。そんな心強い相方をどうやって口説かれたんですか?
久川さん:
漆嶋は大学の同級生ですが、私が代表になった時、もう1人必要だと思ったときに”やるなら漆嶋がいい”という顔が浮かびました。でも、私も起業は初めてのことで、きたからといって何か任せる仕事があったとかそういうものがあるわけでもないし、最初は利益もないからお給料を払えるわけではない。だから漆嶋にとって「やる意味」を見つけてもらえないとWin-Winじゃないと思い、対等な立場でやれるように話しました。
岩田:
その時のこと覚えてますか?
漆嶋さん:
そうですね、大阪の居酒屋で久川がかすについてすごい熱量で語るのでそれに圧倒されて。「それだけやる気があるなら1回やってみるか」となって、プロジェクトに入り始めました。3ヶ月ぐらいが経ち、今は「僕行きます」という感じで動いています。元々将来は起業にも興味があったので久川の下について自分ができるだけのことをしようと考えています。
岩田:
プロジェクトに関わりながらご自身のやる意味を見つけていかれたんですね。
最後に今後の展望を聞いてもいいでしょうか。
漆嶋さん:
Maison KasuYaとしてはやっぱり商品を増やし、かすのコレクションカンパニーとして、かすのライブラリーを作りたいです。誰もがかすを取引きしやすい環境づくりがMaison KasuYaのやるべきことだと考えています。
久川さん:
Maison KasuYaとしては「捨てるもの捨てないものの線引きを書き換える」というミッションのもとかすを当たり前に使うものとして認識される社会を目指しています。私としては周囲の人が幸せになるように、漆嶋や自分の商品として販売して売れる仲間が嬉しいと嬉しいし、Maison KasuYaを使ってくれた人に喜んでもらいたいです。
内容は取材当時のものです。現在のサービス名・事業内容・活動状況は同社のホームページ・SNSなどをご参照ください。