「人生最後の仕事を自分らしいものに」。元公務員が起業に踏み出せた理由
安定した仕事を手放し、独立・起業するのは勇気がいること。
名のある会社や役職についていたり、守るべき家族がいたりする人ほど、その選択をためらう人も多いのではないでしょうか。
今回取材する松永さんは2024年3月に消防局を退職、現在は「法律」と「船」というユニークな切り口で4つの事業を展開しています。
公務員という安定した仕事から、なぜ起業に踏み切ることができたのか。話を聞く中で浮かび上がってきたのは「終活」というキーワードでした。
プロフィール
松永 浩行
看護学校を卒業後、病院の手術室で2年間勤務。その後、消防局にて29年間公共の安全を守る職務に従事。子どもたちが独立した52歳のタイミングで消防局を退職、人生の集大成として起業を決意。豊富な経験を活かし、広島市で在留資格申請や永住権申請に強みを持つ「くまのみ法務事務所」、ボートシェアリングサービス「オフショアリバティ」を運営、社会課題の解決に全力を尽くす。
消防局から独立、「法律」と「船」を軸に複数ビジネスを手がける
ーー松永さんは今年消防局を退職されて、現在は「防災設備コンサル」「行政書士」「遊漁船レンタル」「船のシェアリングシステム」と幅広くビジネスをされていますね。消防局時代はどんな仕事をしていたのでしょうか?
松永さん:実は、最初は看護師としてキャリアをスタートしました。そこから1991年に救急救命士法という法律ができて、これまでできなかった救急車の中での高度な医療行為が可能になりました。
その法律を知って「自分の看護の知識が救急車でも役立つのでは」と思い、消防局に入局。救急隊員を15年ほど務め、部隊の指揮・監督を行う消防隊長も経験しました。
ーー消防隊のお仕事と、士業のお仕事は縁遠そうなイメージがあります。士業に興味を持ち始めたきっかけがあったのでしょうか。
松永さん:当時は今ほど労働者の働き方が問題視されていなかったので、上長の命令で無茶な働き方をすることもあったんです。でも、ただ声を上げるだけでは組織はなかなか変わらなくて。
そこで「対等に議論するためには知識が必要だ」と思い、働く人の権利に関する法律を勉強し始めました。そこで一定の知識もついたし、法律に対する心理的ハードルも低くなりました。
ーーそのときの経験が、今の行政書士などのお仕事に活かされているのですね。
松永さん:そうですね。こんなやりとりをしているうちに周りから法律の相談を受けるようになり、消防法関連の査察を行う部署へと異動しました。
そこは消火器や火災報知器などの消防設備が、建物にきちんと設置されているか検査する係でした。消防法の知識も身につけながら何百件もの査察をした経験が、今の「防災設備コンサル」の仕事につながっています。
ーー「船」というキーワードも、松永さんが手がけるビジネスを象徴するものの一つですね。
松永さん:はい。もともと海釣りが大好きで、30歳のときに中古で船を買ったんですよ。
そこから漁業組合員になり、漁師さんや海関連の仕事の方とのつながりが増える中で、日本の船の課題がだんだん見えてきました。
今は漁師さんの高齢化が進んでいて、なかなか船を出せなくなっているんです。でも自動車や家と同じように、船も持っているだけで色々な維持管理費がかかる。でも、知らない誰かに貸すのもリスクが高い。こんな状況で、使われていない船がたくさんあるんです。
一方で僕が海釣りをしたくて船を買ったように、「船を使って海のレジャーをもっと楽しみたい」という人たちも世の中にはたくさんいる。
両者をよい形でつなげることができないか考えた結果、船のシェアリングサービス「オフリバ」を構想しました。
「最後」を考えたとき、自分が生きた証を残す仕事がしたかった
ーー松永さんのような公務員のお仕事は、定年まで勤め上げる方が非常に多いと思いますが、公務員を辞めて起業に踏み切ったきっかけはあるのでしょうか?
松永さん:いま僕は52歳で、「第二の人生」「終活」というキーワードを意識する年齢に差し掛かっています。自分を人生の1つの物語だと考えたときに、もうエンディングに入りかけているわけです。
これから手がけるような仕事というのは、おそらく自分にとって最後の仕事になるだろうと。
そう考えたときに、自分が生きた証のような、爪痕を残せるような「何か」をやりたいと思ったんです。
ーー自分の人生を意識されたからこそ、決心がついたのですね。公務員を辞めることに対して恐怖や不安はなかったですか?
松永さん:個人的な不安はそこまでなかったですが、家族のことは真剣に考えました。
自分が公務員を辞めても家族がきちんと生活できるよう、起業は子どもたちが就職して自活できるようになったタイミングでやる、ということは決めていましたね。
幸いなことに我が家は妻も働いており、起業しても家計的には問題なかったので、その点では安心して一歩踏み出すことができました。
万が一「オフリバ」のビジネスに失敗したとしても、士業の資格を持っていれば食べていけないことはないでしょうし、いざとなれば看護師としても働けますしね。
ーーちなみに起業されることについて、ご家族からの反応はいかがでしたか?
松永さん:実は、そこまでしっかり相談したわけではありませんでした。
というのも公務員時代から休みの日を使って、少しずつビジネスコンテストに参加したり、起業関連のイベントに行ったりと、数年かけて起業のための準備をしていて。
そのことは家族にも話していたので、自然と「子どもが就職したら起業するよ」という認識が家族の中で暗黙の了解となっていったような感じです。
ーー外堀を埋めていった感じ?
松永さん:そうかもしれません(笑)。
でも、これは手前味噌かもしれませんが、家族からは「最後までやり切ってくれるだろう」と信頼してもらえているのかな、とも思います。
資格取得にせよ起業準備にせよ、一度目標を立てたことに対する姿勢を見てくれていたので、「まあ、なんとか食わしていってくれるんじゃないかな」という感覚を持ってくれていたみたいです。
それはすごくありがたいことでしたね。
行政での経験を武器に、規制の壁を越えたビジネスに挑戦
ーー公務員となると副業は禁止かと思いますが、起業準備はどのように進めていったのでしょう?
松永さん:「オフリバ」に関しては、退職するギリギリまで法人化せず、水面下で初期の仮説構築や市場調査を進めていきました。チームの代表も私ではなく友人にやってもらい、私はサポートとして参加しているという立て付けに。
ありがたいことに「オフリバ」のサービスについて共感し、快く手伝ってくれる仲間が集まってくれたので、法人化前にある程度事業を前に進めることができました。
ーー実際に起業してみて、公務員時代の経験で役に立っていることは?
松永さん:かつて行政側で民間企業の査察をした経験があるからこそ、「行政とどう対話するか」「法律をどう解釈するか」というノウハウは他の人よりも長けていると思います。
実は「オフリバ」は法律的にグレーな部分があったので、グレーゾーン解消制度(※)のもとに経済産業省や農林水産省へ規制の適用の有無を確認、「違法にはあたらない」というお墨付きをいただいています。
グレーゾーン解消制度とは
産業競争力強化法に基づいて、事業者が新しい事業を行う前に、規制の適用範囲が不明確な場合に、あらかじめ規制の適用の有無を確認できる制度。
松永さん:自分は行政として働いてきたからこそ、「行政が何を守りたくてこんな規制をしているのか」という勘所がわかる。だからどんなコミュニケーションを取れば適法になるのかも想像できるんです。
法律や規制の「すき間」に大きなビジネスチャンスが眠っていることも多いので、公務員時代に養ったこの視点は起業家としての大きな強みになると実感しています。
「挑戦したい」と心から思えたときに、迷いなく踏み出せるはず
ーー今振り返って、起業準備の段階で「やっておいてよかったな」と思うことを教えてください。
松永さん:色々なイベントに参加して、信頼できる人とのつながりを作ることです。
ビジネスを立ち上げるためには多くの方の助けが必要で、どれだけ「デジタルの時代」と言われても、やはり深い関係を築くためにはリアルな接点が重要です。
それこそnorosiの代表の山岡さんとも、あるスタートアップのイベントがきっかけで出会いましたしね。
ーー信頼できる人を見極めるとき、どんなところに注目すればよいのでしょう?
松永さん:色々な視点がありますが、山岡さんの場合は「NO」ときちんと言ってくれるところが信頼できました。
ビジネスコンテストやイベントで「オフリバ」について話したときに、好意的な反応をいただくことが多かったのですが、自分の中では「本当に大丈夫なのかな」という気持ちが拭えないでいました。
「オフリバ」のビジネスを成立させるには乗り越えなければいけない壁が山ほどあることを自覚していましたし、自分がまだ気づいていない致命的な穴があるかもしれないからです。
そんな心配があったからこそ、上辺だけを見て褒める人ではなく、自分とは違う視点で真剣に「オフリバ」を見てくれて、新たな課題や解決策を一緒に考えてくれる人のほうが信頼できる。
その点、山岡さんは「僕はちょっと違った意見があるんですよね」と打ち返してくれるので、安心して相談できました。
ーー目の前に「起業しようかどうか迷っている方」がいたら、松永さんはどんな言葉をかけますか?
松永さん:個人的には、「起業しなければ」と焦る必要は別にないと思うんですよ。起業が怖くて不安というのであれば、今はまだその人にとって適切なタイミングではないのかなと思います。
たとえば、自己啓発本の強いメッセージに影響されたり、周りの友人が起業したりすると、「挑戦しなきゃダメだ」という気持ちになりますよね。
そうした気持ちは瞬間的には盛り上がるけれど、長続きしない。「起業したいけど踏み出せない」と悩むのは、一時的な盛り上がりで踏み出そうとするからだと思うんです。
機が熟して本当に心から「挑戦したい」と思えたときに、自然と足が動くようになるはず。そこまでは無理に踏み出さなくていいのかなと思います。
「挑戦しよう」と腹をくくることさえできれば、今の時代、仕事を辞めてもどうにか食べていけるはずです。
人生に遅すぎるということはないので、そのときが来るまでは決して焦らず、目の前のことに全力投球していってください。